夜景遺産認定地
つうてんかく
通天閣初代の通天閣が消えて寂しくなった新世界を復興しようとの地元の声をきっかけに、昭和29年に新世界町連合会役員らにより創立事務所を設置。翌年の昭和30年、地元の人々からの出資によって通天閣観光株式会社がスタートし、昭和31年、現在の二代目通天閣が再建された。
初代の通天閣が消えて寂しくなった新世界を復興しようとの地元の声をきっかけに、1954年に新世界町連合会役員らにより創立事務所を設置。翌年の1955年、地元の人々からの出資によって通天閣観光株式会社がスタートし、1956年、現在の二代目通天閣が再建された。最上階は5階。地上87.5メートルに位置し、売店のほか、名物・ビリケン像がある。84メートルに位置する4階も展望フロア。浪速区を中心とした大阪市街地まで遠方までの視野を確保。東には信貴山から天王寺美術館、南東に天王寺駅から天王寺動物園、西に南港からUSJ、六甲山、大阪ドーム、北西に難波や日本橋から梅田まで、北は大阪城のライトアップ、北東に生駒山や四天王寺までが360度眺望可能。眼下に生活の灯が見えるなど、リアルに大阪の夜を体験できる展望台としても貴重だ。通天閣の尖端のまるいネオンは天気予報装置となっており、色の組み合せで明日の天気を知らせてくれる。「初代通天閣がパリの凱旋門とエッフェル塔をくっつけた形をしていた」「通天閣の「通」が、初代の生みの親である土井通夫氏の名前に由来している」「第二次世界大戦下に鉄が不足していたことから解体された」等、数々のエピソードがある。